あんのストーリー

※本記事には広告が含まれます

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はじめに

こんにちはあんです このページでは私の経歴とか、想いとかをただただ書いております

無益ですが、「あん」とはどういう人なのか少しでも興味を持ってもらえたらうれしいです。

 

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デザイナーまでの道のり

私は高校まで 小学校の先生になりたいと思っていました

ところが、高校の文化祭で有志のファッションショーしてからというものデザイナーになりたいと強く思うようになりました 

自分がデザインした服を自分で作り、友だちをモデルにしてショーをする…

それが それが最高に楽しくて ワクワクしてこれをどうしても仕事にしたいと思いデザイナーになろうと決めました

そこからは服飾科のある美大へ進むため 絵を描くことをがんばり塾に通い、自分でも 服を作り続けました 

頑張った甲斐もあり 服飾科のある美大へ推薦入試が決まり そこからは勉強の日々 

短大だったので 専門職に就ける確率は低かったのですが、どうしても早く働きたかったので短大へ

当時は女性は30歳ぐらいで結婚するし…全力で働けるのは20代だけだ!と思っていたので、4年制大学に入るより、2年制の短大がいいと思ったのです

 

苦労続きの就活

就活では苦労が続きました

そもそも2年制の学生をデザイナー職で募集がある企業が少なかったのです

書類選考でも私は特別絵がうまいわけでもなく、素晴らしいデザインができたわけでもなく何社も落ちました

当たり前ですよね

4大生や、専門学生にはかないません

「もうデザイナー職は無理か…」とあきらめかけ、販売職でも就活を始めた秋ころ

「子供服ではどうですか?」といったお誘いが!!

一度落とされた企業から声がかかったのです!

デザイナーで雇ってくれるならどこでも!!

最後の望みをかけて面接

どうにかデザイナー で雇ってもらえる所へ就職することができました 

本当はレディースに行きたかったけれど子供服での採用でした 

はっきりいって子供は苦手です

3年ぐらい働き 転職すればいいやと当時は思っていたので がむしゃらに頑張ろうと決意しました

 

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ベビー服デザイナーの日々

↑実際デザインした服たち

 

ベビー服デザイナーでの日々が始まりました それは想像よりも過酷で毎日終電の日々

会社に泊まる日 本当に休みがなく50日間連勤… そういう日々が続きました 

駅員さんにも顔を覚えられるようになりました(毎日終電にかけ込むから)

職質にも何回も会いました

一刻も早く寝たいというのに !

脳ミソの命令が体にうまく伝わらない事なんてよくある

人間、眠すぎるとそうなります

目の前の信号が赤、90度右向くと青

だから、前へ直進…ひかれそうになりました

クラクションならされても、自分にならされてるとしばらく気がつかなかった…

家の鍵も開かないのに右に回し続けて、脳は「左に回せ」って命令を出しているにもかかわらず…しばらく家に入れませんでした(そりゃそうだ)

肉体的にも精神的にもボロボロになりました

それでも街中で自分のデザインした服を着る子供を見るたびにとてもうれしくなりました

私の努力は報われているそう思いました

それから 毎日頑張ったけれど2年目のある日先輩が退職することになりました 

結婚退職でした 

とうとう私と後輩2人だけになり 私は上の人がいなくなる不安でいっぱいでした 

1年経ったある日会社の組織変更の為私たちは子供服のグループから離れることになりました

信頼していた上司と離れることになり、服のことは全く分からない新しい上司と一緒に仕事をしなくてはならないので本当に本当に本当に嫌でした 

ですが 部長は以前同じビルで働いていた仲良しの方だったため 心強かったです

デザイナーチーフに!

私はデザイナーチーフに昇進することになりました

ただ単に社歴が長かっただけで仕事の内容を見ての昇進ではなかったので自分としては納得いく形ではなかったけ仕れど 役職は人を育てるとはよく言ったものです

この昇進を受けることにしたのです 

昇進してからというものは実務というよりかは会議やまとめる力みんなからのリーダーシップを求められるようになりました

そして、お給料が上がりました!

やったぁぁぁー!

役職者は見込み残業代が入っているので、私はいかに残業せずに帰るかを考えるようになりました

周りをみても残業は常態化していて、「残業するほどえらい」みたいな感じでした

もう、ウンザリです

同じ給料なら、いかに働く時間を短くするか…仕組みを変えることにチャレンジしました

ブラック企業問題など、社会的な追い風もあり、仕組みを少しずつ変化させることに成功しました

私はデザインする実務も好きだったので できるだけ自分でも実務をこなすよう努力していました 

最大の変化は「ベビー服はおもしろい!」ということ

ずっとレディースのデザイナーになりたいと思ってた

でも、取引先、同僚、実際着てる子供を見るたびに「ベビー服で良かったー」って思うようになりました

ちなみに言うと、レディースは流行を追うけど、子供服とニット、雑貨、メンズのスーツなんかはものすごくキャリアとして積み上がりやすいと思います

特にニット

寸法さえおさえればどのブランドにもいける

婚活もしてみた

そうやって何年も努力してきて 私は自分も母親になりたいと思い

忙しくて恋愛に時間をさくこと自体が難しかったので、結婚相談所に入会

本当に世の中にはいろんな人がいますね

世間勉強にもなりました

いい人生経験です

 婚活を始め 2年ぐらいで 結婚退職をすることになりました 

ベビー担当なので、仕事の愛読書は「たまひよ」「赤すぐ」など赤ちゃんに関する本も多く、女性の出産年齢によって、妊娠確率が下がったり、ダウン症の子供が産まれることを仕事を通じてよく知っていました

だからこそ本当は30歳までに結婚したかった…

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専業主婦?の日々

結婚して仕事を続けることも考えたけれどやはり1か月ぐらい終電 の日々があり、それが年4回と考えるとどうしても結婚生活自体に支障をきたすものでした 

なんのために結婚したのやら…?

なので大好きだったデザイナー職をやめることにしました

しばらくは専業主婦で休みを満喫していましたがやはりバリバリと働いていた反動からか社会から必要とされていない不安や誰とも繋がっていない不安 私はややうつ病になりかけました

仕事をさせてください!!

自分で働かなくちゃだめだと思い、私はケーキ屋でバイトすることにしました

1年間ぐらい働いたけれどやはり子供が出来るまでの二人きりの間により多くのお金を貯めた方がいいなと思い派遣で働くことにしました 

派遣登録するにもスキルが何もなかったのでパソコンスクールに通いワード・エクセル・パワポなどの スキルを 磨き 履歴書に書ける ようにしました 

ですが派遣で働き始めた会社は商社だったんですがパソコンのスキルなどほぼ必要のない場所でした

マジかー😱

満員電車にぎゅうぎゅうと押されながら日々通っていました

半年ぐらいして妊娠していることが発覚しそこも退職することになりました

返して私のパソコンスクール代…

地獄!専業主婦はつらいよ

それからは専業主婦の日々

子育ては忙しく 無休で無給でした

しかも24時間

これはどんなブラック企業よりも待遇が悪く、社会からも取り残されて本当に自分一人だけがこの世界で頑張っているような気すらしました

誰も助けてくれない 誰も私を褒めてくれない 誰も私を認めてくれない 給料ももらえない…

そういう風に思えるときが何度もありました

子供は可愛いですがやはり 育児が大変なのは変わりません

保育園にも働いていないため 行かせることもできず、そもそもバイトの面接などを受けるには 誰かに子供を預けなくてはできません

すごく矛盾している制度ですが 仕方がありませんでした

最近ではやっと幼稚園に行き始め  子供と離れる時間ができました

そこで思ったのは専業主婦の私は常に誰かのために生きていて、私自身の時間を過ごしている時間がないなと思いました 

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これからは自分のためにも生きる!

これからは自分自身のために生きていきたい!自分の時間を取り戻したい!

経済的にも自由になりたい!

まずはブログ自分で稼げるようになりたいと思いブログを始めました

まだまだ収益は出ていませんですがまず記事を書くことに

書く誰かと繋がったりできる!

Twitter で仲間ができたりして新しい人や価値観に触れると 自分の世界観もどんどん広がっていきました 

つらかった一人ぼっちの世界から抜け出すことができたのです

本当にありがとうございます

素晴らしいネットの世界

顔もアイコンでしか知らないけど

画面越しにしかみたことないけど

確かに繋がっています

 

まだブログで稼いでいるとは言えませんが 少しでも一記事でも多く記事を書き 少しずつプレビューが上がっていくのを見ると 少しずつ前進している のを感じます 

色々改善すべき点もありますし、はっきり言って投下できる時間がものすごく少ないので 稼ぐようになるまでにはだいぶ時間がかかるかもしれません 

それでも少しずつプレビューが上がったりしているのを見ると 前進しているのを感じます 

専業主婦だと閉塞感がものすごくあって なにかのいいなりにしかなれない、選択ができない、ずっとそう思っていたので少しでも自分で稼げるようになれば 私の選択肢もいろいろ広がると思いました 

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これからやりたいこと

まず、私自身が稼ぐということ

自由になるということ(経済的にも、精神的にも)

私と同じように子育てや育児又は介護などで外で働けない人 

だけど やっぱり自分の力で稼いだり社会と繋がりを持ったり働きたいと思っている人はものすごくたくさんいると思います 

私はそういう人たちと一緒に 何かやりたいと思っています 稼ぐ主婦を増やしたい、自由な人を増やしたいというコンセプトはここから来ました 

別に稼げなくてもいいんです

家で一人引きこもっているよりほかと繋がりを持って、もう一度働きたいという思いを尊重したい 

子供の夏休みに 好きな時間 好きな場所で働ける環境を提供したい 

そのためには自分自身がまず稼ぐ主婦となりモデルになる必要があると考えました 

私のスキルはアパレルでのスキルしかないけれど それを必要としてくれる人もたくさんいるとは思います

スキルがあるのに時間が許さず、スキルを活かせない働き方をしている人もたくさんいると思います

そういう人を少しでも減らしたい

好きな場所、好きな時間、好きなことで仕事できたら最高だと思いませんか?!

私はそれをめざします

そういう人になりたいし、そういう人を増やしたい!

あの閉塞感でいっぱいだった私を救ってくれたのは「ブログ」「Twitter」の存在でした

あなたにとっては「プログラミング」かもしれないし「せどり」かもしれない

どれにしても自分に合った自分の生き方を取り戻してほしいと思っています

まずは一歩ずつ前進します!

 

こんなに長ーい自己紹介文を最後まで読んでくれてありがとうございます!!

PV上がるとはげみになります

これからも応援よろしくお願いします!

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